わくわく原子力ランド


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核実験場編

【ネバダ核実験場】
アメリカ合衆国ネバダ州ネバダ砂漠(37.116667,-116.05)

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1951年〜1992年
ラスベガスの北西約105kmの地点であり,公表されているだけで928回の核実験(うち828回は地下核実験)が行われた. 現在でも臨界前核実験が行われている. 大気圏内核実験により生成された放射性同位体は広範囲を汚染し,人体への影響を指摘する研究者もいる. 明確な因果関係は証明されていないが,一説によると核実験の影響による死者数が数万〜数十万人とも言われている.

【ビキニ環礁】
マーシャル諸島共和国(11.583333,165.383333)

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1946年〜1958年
太平洋核実験場として米国が67回の核実験を行ったことで有名である. 1954年3月1日の水爆実験(キャッスル作戦ブラボー実験)により,ビキニ環礁の3つの島が地上から消滅し, 第五福竜丸をはじめ延べ992隻の漁船がマーシャル諸島の住民とともに被爆した.被爆者は2万人近くと言われている. 日本では事件を矮小化するために第五福竜丸のみがクローズアップされたが,実際には被曝した漁師の多くが50〜60代の若さでがんで亡くなっている. 全国で水揚げされた「原爆マグロ」約490トンは全て廃棄され,今でも築地市場の地下にはこの原爆マグロが埋められたままである. 米国は「第五福竜丸の犠牲者は放射線が直接の原因ではない」との見解を現在も取り続けている. 1957年以降,米国は避難していた島民に帰島許可を出したが,住民の多くが病気になり異常出産も明らかに増加した. 当時はクラゲやブドウのようなモンスターベイビーが生まれるとすぐに隠して埋められたという. 部分的核実験禁止条約の締結とともに,ネバダ核実験場で地下核実験が行なわれるようになり, 太平洋上での核実験は1962年以降行われていない.

【エニウェトク環礁ルニットドーム】
マーシャル諸島共和国(11.552595,162.347277)

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米国の太平洋核実験場のひとつである.アメリカ政府による除染が1977年から開始され, 1980年に安全宣言が出されたが,30年が経っても島ではヤシの木や穀物が育たない. 現在も島の北部は放射能汚染が酷く,住民は南部で生活している. ルニットドームは,除染した放射能汚染物質を,爆発で生じたクレータの中にコンクリートで封じ込めたものである. プルトニウムの半減期は2万4000年だが,コンクリートの耐用年数は長くて100年であり,すでにひび割れが始まっている.

【セミパラチンスク核実験場】
旧ソビエト連邦カザフ共和国,現カザフスタン(50.379791,77.833672)

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1949年〜1989年
旧ソビエト連邦の核実験場のひとつで,1949年からの40年間に合計456回の核実験が行われた場所である. ソ連最初の核実験RDS-1が1949年8月29日に,また,1955年11月22日の初の水爆実験RDS-37, 核爆発の平和目的(土木)実験であるチャガン核実験などが行われた. これらの実験の際に,一部の付近住民を放射能汚染地域に滞在させる人体実験が行われたと見られている. その後,放射能汚染による住民の健康被害が広がり,地元の研究者たちによる調査が行われたものの, 核実験を優先するソ連当局に黙殺された.ソ連末期のグラスノスチにより実験の実態が明らかになると 国際的な非難が高まり,1991年8月29日に実験場は正式に閉鎖された. 推定では,120万人が被爆し30万人ほどが放射能の後遺症を受けていると言われる.
付近には地下核実験(チャガン核実験)によって誕生した人造湖「チャガン湖」が存在する(49.935278,79.008889).

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チャガン湖は,いまだに放射能で汚染されているため,しばしば原子の湖と呼ばれる.

【ノヴァヤゼムリャ】
ロシア連邦領アルハンゲリスク州ノーヴァヤ・ゼムリャー(73.53852,54.734573)

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1955年〜1990年
ソビエト連邦の空軍基地があったが1955年から核実験場として使用され,現在もロシア連邦の核実験場として 臨界前核実験に使用されている.公表されているだけで,これまでに224回程度の核実験が行われた. 総爆発量は265メガトンで,第二次世界大戦で使用された原爆を含む総爆発量2メガトンの実に130倍である. 特に,1961年10月30日に人類史上最大の水爆ツァーリ・ボンバ(設計では100メガトン級だが実験では50メガトンに抑えられた)が 上空4000メートルで炸裂し,その衝撃波は地球を3周したと言われている.

【モンテベロ諸島】
西オーストラリア モンテベロ諸島(-20.416667,115.55)

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1952年〜
1952年10月3日にイギリス最初の核実験「ハリケーン作戦」が行われた実験場である. 放射線の許容量を調査するため死の灰が降った地帯にイギリス海軍の水兵が派遣され被曝した. その子孫の17%に先天性奇形があるという.被曝に関する調査報告書や1万5千人分のカルテが紛失するなど 国による隠蔽工作も疑われている.また,先住民族のアボリジニに対しては避難勧告など何もなく, モルモットというよりは初めから存在を無視されたように実験が行われた. 現在に至るまで補償は極めて不十分で,アボリジニはもちろん,被曝した軍人に対してもなされていない. 1989年より汚染地域の浄化が図られたが,広大な実験場の汚染除去は遅々として進まず,事実上失敗した. なお,この諸島はGoogleマップの地図モードでは何故か表示されず,航空写真でのみ確認することができる.

【ウーメラ立入制限区域】
オーストラリア サウスオーストラリア州ウーメラ村(-29.99447,134.007411)

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1947年〜
イギリスがロケットや核兵器の研究を行っている世界最大の軍用試験区域. 先住民族アボリジニの聖地であり,日本の小惑星探査機はやぶさのカプセルを落下させた場所でもある.
付近にはマラリンガ核実験場がある(-30.154627,131.605225).

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マラリンガでは1963年までに,11回の核実験の他,爆薬を使った核物質の安全性実験を600回近く実施し, プルトニウムなどを大量にまき散らして深刻な放射能汚染をもたらした. 周辺には多数のアボリジニが生活していたため,大量の放射性降下物を浴びたり,強制移住させられて, アボリジニの生活や文化が奪われてしまった.

【サハラ砂漠】
アルジェリア中部サハラ砂漠内(25.854898,0.581245)

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1960年〜
フランスは1960年2月13日にアルジェリアのサハラ砂漠で同国初の核実験を実施した. その後1996年までに,サハラ砂漠と仏領ポリネシアで計210回の核実験を行っている. 除染作業などは行われておらず,50年経った現在も深刻な汚染が残っており,サハラ砂漠では今だに奇形児が生まれている. 地元住民2万人はもちろん,遊牧民や,無防備で偵察を行った軍人が被曝している.

ポリネシア ファンガタウファ環礁(-22.233334,-138.745136)

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ムルロア環礁(-21.833333,-138.916667)

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【ロプノール核実験場】
中華人民共和国新疆ウイグル自治区(41.707242,88.372296)

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1964年〜
中国では1960年代初頭に設立された第9学会(北西核兵器研究設計学会)により核兵器の開発が進められた. 新疆ウイグル自治区のロプノール湖が核実験場として使われた始めたのは1964年からである. 核実験は1996年までに45回行われ,1980年までは地下ではなく地上での核爆発実験であった. 深刻な放射能汚染によって周辺に居住するウイグル人ら19万人が急性死亡し, 健康被害を訴えている住民は現在までに129万人にのぼると推定されている.多くは既に死亡したとみられているが, 当局は全てを否定,隠蔽している.中国では被曝者が団体を作ることも抗議デモをすることも許されないし, 当然国家から治療費も出ない.海外の援助支援団体も入れない状態で,原爆症患者が30年以上も放置されたままである. この地区の実態については,イギリスBBCが1998年8月に隠し撮りによるドキュメンタリー「死のシルクロード」(27分)を 報道し,現在はYouTubeでも視聴可能である.

【ポカラン試験場】
インド ラージャスターン州(27.094444,71.753611)

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1974年〜
1974年5月18日にインドによる初めての核実験が行われた. 「平和的核爆発」が目的とされ,コードネームはSmiling Buddha(微笑むブッダ). カナダによって提供された原子炉とアメリカから供給された重水で生産したプルトニウムによる原爆であり, 地下107mで起爆した.爆発の規模は公式には20ktとされ,少なくとも8ktを上回っていた事は確実とみられる.
2度目の核実験は,1998年5月11日に3回,5月13日に2回,隣国パキスタンへの示威効果を狙った軍事目的として行われた(シャクティ実験). この実験には水爆が含まれ,全ては地下で行われた.規模は地震計により最大12ktと推定されている. なお,パキスタンもこれに対抗し1998年5月28日と30日に核実験を行っている.

【チャガイ核実験場】
パキスタン バルチスタン州チャガイ山地(28.792372,64.946768)

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1998年〜
1998年5月11日に行われたインドの核実験に対抗し,同年5月28日に5回実施された. 山肌にトンネルを掘った地下核実験であり,総出力は40ktと推定されている.5月30日にも核実験が行われた. 実験に使われたのはプルトニウム型だったが,パキスタンはこれまでに保有する核兵器は全て高濃縮ウラン型であると 公言していたため,この実験に使われた爆弾は北朝鮮のものを代理実験したのではないかという疑惑がある.

【豊渓里核実験場】
北朝鮮 咸鏡北道吉州郡豊渓里(41.278347,129.087027)

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2006年10月9日
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は2006年10月9日10時35分に初めて地下核実験を行ったと発表した. 中国に事前通知していた爆発の規模はTNT換算で4キロトン,各国が観測した地震波からの推定によると最小0.5キロトン, 最大で15キロトン程度という(ヒロシマ型が約15キロトン). しかし,放射能の拡散が検出されていない事からプルトニウムの爆縮がうまく行かず実験が失敗したとの見方もある. 2009年5月25日午前9時54分には,1回目とほぼ同じ位置で2回目の核実験が行われた.地震波の観測から,放出された エネルギーが前回に比べ約4倍になったと言われ,2回目は実験に成功したのではないかと見られている.

【南アフリカ沖】
インド洋南アフリカ沖?詳細不明(-40.446947,34.716797)

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1979年
南アフリカ付近のインド洋上にて3kt規模の海中核爆発がアメリカの核爆発観測衛星 Vela によって観測されたと言われており, これが南アフリカとイスラエルの両国による共同実験だったのではないかという説がある.

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