わくわく原子力ランド


トップページ 国内編 海外編 核実験場編 植物編 動物編 人間編 分類編 検定編 問答編 語録編

国内編

【フクシマ】
福島県双葉郡大熊町大字夫沢字北原22番地(37.421389,141.0325)

大きな地図で見る
2011年3月11日 地震による世界初の原発震災
東日本大震災によって発生した,日本及び世界における最大規模の原子力事故. 地震により運転中の各原子炉は緊急停止したが,発電所への送電設備が損壊し外部電源を失った. 非常用発電機が起動したが,地震の約50分後に高さ約14メートルの津波が発電所をおそい,地下に設置されていたそれらの設備が海水で故障および流出して, 全交流電源喪失状態(ステーション・ブラックアウト)に陥った.このため原子炉や核燃料プールを冷却できなくなり, 炉心溶融(メルトダウン)および貫通(メルトスルー)が発生.1〜4号機は全て水素爆発し,土壌と海洋が広範囲にわたり汚染された. なお,津波が到達する前に原子炉建屋内において放射線計測値が急上昇していることから,地震の揺れで原子炉設備が損傷した可能性も指摘されている. また,3号機の爆発ではキノコ雲が見られたことから,臨界反応(核反応)が発生したのではないかとも言われている. 10万人以上の住民が避難を続けている現在進行中の事故であり,収拾はいつになるのか不明である. この事故により,東日本は広域にわたって放射能に汚染されてしまった.
57.5μSv/hの高い空間放射線量が測定された千葉県柏市の空き地(35.879879,139.985781)

大きな地図で見る

【柏崎刈羽原子力発電所】
新潟県柏崎市青山町16(37.425661,138.594418)

大きな地図で見る
2007年7月16日 地震による火災と設備損傷
新潟県中越沖地震により,変圧器に火災が発生.消火にも手間取った. 炉心は緊急停止したが,冷却装置が停止するなどのトラブルもあり,重大事故になる一歩手前だった. 使用済燃料プールの冷却水も流失し,一部が外部に漏えいした.

【美浜原子力発電所】
福井県三方郡美浜町丹生(35.703947,135.960649)

大きな地図で見る
2004年8月9日 破断事故
2次冷却系の配管が破断し,10気圧142度の熱湯800トンがタービン建屋に噴出.その場にいた作業員5人が死亡,6人が重軽傷を負った. 2次冷却系のため,放射能漏れはなかったとされている.事故のあった配管は,本来であれば肉厚約1センチのはずが,最薄で1.4ミリまで磨耗していた. この配管は,1976年の営業運転開始以来,一度も点検されておらず点検リストからも漏れていたことが判明している.

【東海村JCO核燃料加工施設】
茨城県那珂郡東海村石神外宿2600(36.481312,140.555692)

大きな地図で見る
1999年9月30日 臨界事故
核燃料であるウラン溶液を非正規の手順(バケツ)で扱い臨界した. 核分裂連鎖反応は約20時間持続し,至近距離で中性子線を浴びた作業員は2名が死亡,1名が重症となったほか,667名の被曝者を出した.

【六ヶ所村再処理工場】 青森県上北郡六ヶ所村弥栄平地区(40.961809,141.326548)

大きな地図で見る
1993年〜
日本で始めての本格運用のための核燃料再処理工場である. 最大処理能力は年間でウラン800トンの計画だが,相次ぐトラブルにより稼働の目処は立っていない. 既に貯蔵プールには容量いっぱいの使用済み核燃料が保存され,これ以上は受け入れ不可能な状態である. 当初発表されていた建設費用は7600億円だったが,2011年2月現在で2兆1930億円と約2.8倍以上にも膨らんでいる. 再処理というのはプルトニウムを抽出することを意味し,放射性廃棄物を消滅させているわけではない. 残った放射性廃棄物は,大気中や海中に投棄するか,固化して何万年も管理(冷却)するしかないのであるが, 肝心の高レベル廃液のガラス固化が,設計上の根本的欠陥で行き詰まっている. ちなみにガラス固化しても50年しか持たないと言われている.
2009年1月21日 高レベル放射性廃液漏洩事故
ガラス固化施設内において,高レベル放射性廃液が21リットル流出した.放射性物質の環境への放出はないとされているが, 当日モニタリングポストの火災が発生しており,データが明らかにされていない.

【高速増殖炉もんじゅ】
福井県敦賀市白木二丁目1番地(35.740199,135.988008)

大きな地図で見る
1995年12月8日 ナトリウム冷却剤漏洩事故
二次冷却系配管が破損.冷却材のナトリウムが約640kg漏洩し火災となった.放射能漏れはなかったが,対応の遅れや事故隠しが問題となり, 虚偽の発表を強いられたとする動燃総務部次長が自殺した. 事故発生時,原子炉に負担をかけさせないため,緊急停止せず緩やかな出力降下を行っていたが,これは運転マニュアルに違反する対応であった.
2010年8月26日 原子炉内落下事故
重さ3.3トンの燃料交換用機器が作業中に原子炉内に落下.2ヶ月にわたり引き上げ作業を24回行われるも全て失敗した. 機器が炉内で変形し,引っかかっていることが判明.プルトニウム燃料は炉内に存在しているため,そのままでは廃炉も運転もできない状態となった. 翌年2月14日,装置を現場で担当する燃料環境課長が福井県敦賀市の山中で自殺し遺体で発見される. 冷却材の液体ナトリウムは空気や水に触れると燃焼するため作業は困難を極めたが,開口部を密閉し空気を遮断した上で, 引っかかっていた「上蓋」ごと抜き取るという方法で,2011年6月24日,引き抜き作業が奇跡的に成功した. もんじゅの維持費は年間500億円,度重なる重大事故で,福島第一原発の事故後は廃炉にするかどうか検討することを検討中.

【ヒロシマ】
広島県広島市中区大手町1丁目(34.394547,132.454782)

大きな地図で見る
1945年8月6日午前8時15分(昭和20年)
米国によって,史上初めてウラン型原子力爆弾(TNT換算で約15kt)が実戦使用された. 当時の広島市の人口35万人のうち約14万人(現在まで累計40万人)が死亡したとされる.

【ナガサキ】
長崎県長崎市松山町6(32.773735,129.86324)

大きな地図で見る
1945年8月9日午前11時2分(昭和20年)
米国によって,広島に引き続きプルトニウム型原子力爆弾(TNT換算で約22kt)が実戦使用された. 当時の長崎市の人口24万人のうち約15万人(現在まで累計20万人)が死亡したとされる.

【さいたま】
埼玉県さいたま市大宮区北袋町1-297(35.893213,139.638943)

大きな地図で見る
1959年〜
現在のさいたま新都心駅のすぐそばに三菱マテリアル総合研究所がある.1959年当時,三菱金属によって実験用原子炉が建設され, 商業原子力船「むつ」の研究にも使用された. 1965年,3人の従業員がウラン合金の爆発事故で大やけど(会社はアルミ合金と回答)を負い,1967年に付近を流れる芝川で大量の 放射線物質が検出されている. 1999年になって,敷地内の土壌が放射能で汚染されていること,放射能汚染廃棄物のドラム缶が大量に隠されていたことが明らかになった. 合計40,106本の放射性廃棄物のドラム缶が今でも敷地内に埋められているが,目隠しで遮られているため敷地内の状況は外から確認できない. しかしGoogleマップで見るとその惨状は一目瞭然で,都会のど真ん中で浅層処分されブルーシートが掛けられている様は異様である. 日本のハンフォードである.

ページの先頭へ